スイスの峠越え2006年07月12日 08:05

グリムセル峠から見た氷河棚とフルカ峠
 今日はY子さんのご主人のRさんの薦めてくれた、Grimsel峠(グリムセル峠2165m)とFruka峠(フルカ峠 2431m)を越えるコースを自転車で走る事にする。NaとYuはY子さんとそのお子さん達とルツェルンの市内観光。今回持ってきたのはLemondの軽量スチールバイクで、一応Polarのパワーキットを持ってきたので、これで記録をとる事にする。
 家を出るのが10時半とちょっと遅くなってしまったが、美しいスイスの山々、湖を眺めながら快調に走り出す。峠道に入るまでは一本道ではないので、頻繁に地図を見ながら走る。最初の坂からすでにかなりの急勾配が始まり、39*25Tで走るが、もうひとつ軽い27Tが必要だ。急勾配でかなり高さを稼いだつもりだが、まだ1000mほどの標高。目標まではまだかなりある。と、思っているうちに今度は下り坂になる。Budoriの見た地図にはなかった、Brunig峠(1008m)という小さな峠があり、一気に700mまで下ってしまう。ここまで来るのにもかなりの急坂が続いたので、もったいない!ガススタンドの売店で水を2L買い、1Lをボトルに入れ、残りは飲む。500mlのコーラは240円もした。スイスは物価が高い。Innerkirchenという街で、道が二つに分かれる。ひとつはSusten峠(サステン峠2224m)を超える道で、この道の場合、Susten峠を越えるとWassenと言う街まで行く事ができ、Luzern(ルツェルン)方面へもどるには近道だ。しかしここは迷わずグリムセル峠へ向かう。スイスまで来て峠越えをして、楽な道を選ぶのはなんだかもったいない。
 この日、天気は快晴で暑い。Y子さんの話では、グリムセル峠は1年を通じて道路を走れるのは夏の間のほんの1ヶ月程度だという。年間を通して天候が不順なのと、雪で通れないそうだ。坂道はひたすら続き、常に高い負荷がかかりっぱなしで、休憩しながら昇ってゆく。道は徐々に3000m級の急峻な岩の山に囲まれ始める。見上げると気が遠くなりそうに急な山である。美しいと言うよりも畏怖を感じる。途中で、日本からきた二人の中年?サイクリストに出会う。パンク修理中であった。なんでも、東京と千葉の会社員で、どうしてもスイスを自転車で走りたくて、やってきたとの事。二人ともカーボン製の高級自転車に乗っている。今日中にZermattの宿まで走るそうである。走行距離は200km。ZermattはGrimsel峠を越えた後、イタリア国境近くまで行く、かなりの強行スケジュールだ。このころからだんだん快調になりはじめ、何人かのサイクリストを抜きながらいいペースで登り続ける。しかし登れど登れど標高計の数字はなかなか増えてゆかない。Grimselseeと言うダム湖までなんとか登り、ここで15分ほど休む。足はいっぱいで、ハンガーノック寸前であるが、チョコを食べながら走り出す。この道は平均勾配11%。距離にして3kmごとに休む。湖を見下ろすで待避所で休んでいると携帯が鳴った。Naかな?、こんな山奥でも携帯が通じる事に感心しながら電話に出ると、オックスフォードシャーからで、Yuの小学校への入学の意志がありますか?と言う確認の電話であった。「第一希望のPhil&Jimだよね?」と聞くがどうも話が要領を得ない。ちょっとやりとりをして「まちがいなく行きます」と返事をして電話を切り、走り出そうとするとまた携帯が鳴った。おなじオクスフォードシャーからで「書類を郵送してくれますか?」「書類って、決まったフォームがあるの?」「お送りしているはずです」。このあたりからだんだん話がわかってきた。オックスフォード-シャーからのPhil&Jim入学通知に対する、こちらからの申請書がまだ届いていないのだ!。 通知が来た翌日にすでに郵送しているのですでに2週間以上の前の話だ。Naは念のためにとFaxも送っている。またRoyalMailが郵便を紛失したようだ。「その申請書はすでに2週間以上前に提出済みです」と説明し、わかってもらったが、もし確認の電話をかけてこなかったら、希望の小学校には入れなかったのかな?Faxが届いていないのもおかしいし、郵便が届いていないと言うだけで通じてしまうのもおかしい話だ。RoyalMailもオックスフォードシャーの事務も両方とも怪しい。いずれにしろ危なかった。スイスの山奥でオックスフォードのYuの小学校が決まるとは思わなかった。
 その後のグリムセル峠への登りはさながら修行であった。ギアは39*25Tに入ったままで、足はいっぱいいっぱい。登っても登っても、その先に上り坂が見える。一番心配なのは、ハンガーノックという、食料の補給が十分でなかった場合に起こるエネルギー切れ状態で、一旦ハンガーノック状態になると全く足に力が入らなくなる。補給食料としてチョコレートバーを4本保ってきていて、途中でコーラを飲んでいるので、大丈夫だとは思うが、登りの途中ですでに3本食べていたので、少し不安だ。ようやく頂上に着いたのは15時半。途中に小さな峠があったが、距離にして約60kmひたすら登り続けた。峠には小さな湖があったが、その向こうには雪を戴いた3000m級の山が見える。コーラを補給して、写真を撮って、次の峠を目指す。グリムセル峠のロッジを過ぎた辺りで、ようやく次のフルカ峠へ行くと言うことがどういう事なのか理解できた。グリムセル峠からGletsch(グレッチ)と言う街まで「降りて」、そこから再び上り坂でフルカ峠を目指すのである。眼下の気の遠くなるような谷の底に、グレッチの街とフルカ峠へ行くために通過しなればならない坂道が見える。うーん、ここまで登ったのにもう一度、この谷の底まで下って、それから登るのか!。見晴らしのいいグリムセル峠からはすべてが見渡せる。対岸の山に見えるつづら折りの道と、豆粒のように小さく見える車、ホテル、雪を戴いた圧倒的な偉容の岩山、濁流となって水が流れ落ちる氷河棚(ローヌ氷河)の光景に
めまいがしそうになったが、ここまで来たので行くしかない。スイスの山の厳しさを教えられる光景であったが、もっとも美しい景色でもあった。気を取り直して坂を下り始める。勾配が急なので、ブレーキはかけっぱなし。対向車線には同じように苦行を楽しむサイクリスト達と何人もすれ違う。女の人も結構いる。ブレーキ引きっぱなしで肩が痛くなるので、休みながら降りる。標高は1600mまで下がったが、グリムセル峠から見積もった標高よりも高かったので、ちょっと一安心。フルカ峠まではあと800mの登りだ。1600mまで下がると、気温もかなり高くなる。登りはじめは暑かったが、走り始めて15分もするとそれまで快晴だった空がにわかにかき曇り、雷鳴が轟き始める。やばいなぁー、と思ううちに雨が降り始めた。山の雨は冷たい。シェルターが見えたので、雨宿りをしようとペースを上げるが、進めど進めど近づいてこない。雨はやんだが、曇っていて、気温が急激に下がったので、長袖のジャージを着用し、冬用の手袋をつける。
途中で通過したホテルはローヌ氷河のすぐ脇にあり、景色がいいのだが、手足がかじかんでいて、ちょっとよろめいただけで、断崖のそこまで落ちてゆきそうで、怖くて近づけない。峠への登り道では、自転車を積んだバスが通り過ぎる。観光バスに乗ったおじいちゃんおばあちゃんがbudoriを見ながら拍手しているのが見える。
 フルカ峠の頂上に着いたのは17時。イタリア人のサイクリストが2人いて、道を尋ねられる。峠に到達した証拠写真を撮り、急いで降り始める。ここへ来るまで、予想よりも時間がかかった。フルカ峠の下りは、急勾配の坂で、カーブが多くつけられており、グリムセル峠の下りよりもスピードコントロールが必要で、肩が痺れてくるので、カーブを3-5個通過するたびに休憩をする。ここは一年のうちほとんどの季節は道路が通れないので、車を載せて走る鉄道が敷かれており、線路はほとんどトンネルの中であるが、ところどころ線路が見える。Andermatt(アンデルマット)いう街で電車に乗ろうと考えたが、Luzernに行くにはもっと下った駅まで行かなければならない事がわかった。ゴッタルド峠行きのT字路は、もちろんLuzern方面へ曲がる。余裕があればゴッタルド峠へ、と考えていたが、時間的にも体力的にも一日に峠3つは無理だった。
道はひたすら下り続ける。こんなに登ったのか?と改めて気づく。途中の駅で自分の自転車を立てかけて写真を撮っているサイクリストを見かけた。同じ様なことをする人はどこの国にもいる。きっとこの人も、自転車を見ているだけで幸せなのだろう。結局、約30kmをひたすら下り続けた。
 Erstfeldの街の駅で電車に乗ることにする。幸い駅員が英語を喋ることができ、切符を買うが、自転車を載せるのに人間とほぼ同じ額である。お金が足りない事と、ハーギスビルまでの電車の乗り換えに時間がかかるので、ルツェルンまで電車で行き、ルツェルンから自走する事にする。8時20分の電車に乗り、ルツェルン到着は9時半。10kmである。電車には自転車専用の車両があり、自転車をぶら下げる事ができる。車両に載せるのは車掌さんが手伝ってくれる。車両側面の高い位置にある大きなドアをあけ、そこから入れるのである。天井からブラさがっているフックに前輪を引っかけて、ぶら下げて終わりである。夜だったこともあり、ルツェルンの街で道がわからなくなり、入れ墨をした地元のカップルに道を聞いたところ、ハーギスビルまで一本道で行けるという地点まで自転車で道案内をしてくれた。夜、家に着いたのは22時半であった。長い一日だった。