アムステルゴールドレース ― 2006年04月16日 20:20
朝8時にマルクト広場へ行く。雨が降っていて人はまばらだが、出走サインボードにはすでに熱心な一団が陣取っていた。T-Mobileのアーチの下に場所をとる。人なつこっそうな少年が「日本人?」と声をかけてきた。そうだ」と答えると、ニコニコ笑いながらSkillチームにいる日本人の名前を全員を挙げ(土井、野寺、狩野、品川、さらに監督の名前を挙げ、彼らの得意なパートまで知っていた。地元マーストリヒトの少年達で、Rabobankの配ったヘルメットをかぶって笑いながら歌を歌ったり、仕草は子供のままでかわいい。この少年の予想では、今日はチームCSCのルクセンブルグ人Frank Schreckが優勝候補。9時過ぎ頃から選手達の出走サインが始まり、次次に選手がやってくる。隣にいた家族連れの子供はサインを集めていて、最初に「アニー、アニー」とおじさんに声をかけた。そのおじさんを見て思わず「Kuiper?」と聞いたら、そのお父さんが「そうだ」と言う。70年代の名選手アニー・クイペールであった。その後、隣の少年はすごい力を発揮して、ニコラ・ローダ、アレッハンドロ・バルベルデ、バッラン、フレチャF、マンセボ、イワノフ、フォイクトと有名選手を次々と目の前に呼んでくれた。陣取った場所がちょうど、出走サイン渋滞する場所で、テレビのレポーターも大勢インタビューをしていて、ベッティーニ,フレイレ,エリック・デッケル,レベッリン,Tトーマス・デッケル、ボーガードポッザート,ウェゼマン、メルクスと有名選手が次々と目の前で止まった。雨の中、号砲が鳴り、スタート。インタービューを受けていたバッランは慌ててスタートしていった。レースはこれから隣町のValkenberg(バルケンベルグ)に移動し、この周辺の急勾配が続くコースを3周してゴールする。電車でValkenbergまで移動する。同じ行動をとる人達が大勢いる。老若男女関係なしである。老夫婦が大勢、レースを見に来ているのである。車椅子の人もいる。レースのコースに着くと、ちょうど1周目通り過ぎるところで、選手達がスピードを落とす急カーブはものすごい人だかり。1周目はCoubergまでは行けないので、ここで観戦。雨の中、ものすごいスピードで選手達が通り過ぎてゆく。1周目は、liquigas,T-Mobile,Unibedの3人の選手の逃げが決まっていた。約10分後に大集団が現れる。集団は地元オランダのRabobankチームが先頭を固めて、集団のスピードを上げている。日本チャンピオンのジャージを着ている野寺君も見えた。集団後方にベッティーニとバランの姿が見える。どちらも優勝候補だ。ゴールはCoubergと言う坂の頂上で、1kmほど急勾配が続く有名な坂だ。Coubergに向かうとものすごい数の人達が降りてくる。2周目まではまだ2時間ほどあるので、町でランチを食べるのである。Coubergはテレビで見ていたよ利もずっと急であった。四日市のアジア戦のコースの水沢の坂をもっと急にした感じである。坂の途中のBarではビールを飲みながら応援歌を歌ったりして賑やかである。Coubergは映像で見ていたよりもずっと急に感じた。Coubergの坂の途中、ゴール前350mの地点に椅子を出して、家族みんなで陣取った。家族で喋りながら2周目を待っていると静かに選手の一団が上ってくる。よく見ると日本チャンピオンのジャージを着た野寺君もいるではないか!「野寺君がんばれー」と声をかけるとびっくりしてこちらを見て笑っていた。「逃げているにしては余裕があるし、変だな」と話していると、それから約1時間後にヘリコプターの爆音とともにホントに逃げている選手達がやってきた。Unibed,T-mobile,Liquigas,の3人の選手の逃げはまだ続いていて、沿道は大歓声。すぐ後に単独でこの集団を追いかけているモローが行く。それからまたヘリコプターの爆音とともに大集団がやってくる。Rabobankが先頭を固めていて、ボーガードは余裕の表情。ベッティーニやバッランなど優勝候補も先頭にいる。集団は比較的大きいが、後方の選手達は付いていくのがやっと、と言った感じである。Yuは相変わらず日本語で「がんばれー」と叫んだ。選手を待つ間、何度も練習と称して「がんばれー」と叫ぶんでいえ、うるさかった。選手が通り過ぎると日本人女性2人が声をかけてきた。1ヶ月仕事を休んで、4月からずっとベネルクスのレースを追いかけているのだそうである。日本にも熱心なファンがいるものである。会場のアナウンスを聞いているとT-mobileのヴェゼマンが逃げているようである。それに小集団が追いついて、さらにシュレックが抜け出した?ヘリコプターの爆音が近づく頃、Rabobankの先週数名がゆっくりと登ってくる。アシストの仕事を終えて、棄権して、ゴールに戻ってくる選手達で、エリック・デッケルの姿も見える。ヘリが近づき、バイクもものすごい勢いで走ってきているので、先頭集団の邪魔にならないかハラハラしたが、姿が消えてほどなく下から大歓声とともにCoubergをまったく体が揺れずに黙々と登り続けるシュレックが現れた。走りに集中しているのが分かる。大歓声の中、日が差す坂の頂上へシュレックが消えていった後、すぐにヴェゼマンが単独で現れたが、疲れきっていて、距離も空いているのでもうシュレックの優勝は間違いない。ヴェゼマンにもものすごい大歓声。すぐにBoogerd、ベッティーニの集団が現れる。頂上手前でBoogerdがスパートするのが見える。今年もBoogerdは表彰台だけどまた1位にはなれなかった。しかし少年の予想どおりシュレックの優勝である。スタートは冷たい雨だったが、レース中は雨が全てあがってホントによかった。
マーストリヒトへ移動 ― 2006年04月15日 20:13
ホテルのレストランには子供用のおもちゃや食べ物が別枠で用意してあり、Yuは早速、魚つりゲームをゲットしてきた。このホテルは家族連れが多いが、今日は日本人の家族が多かった。トラムでアムステルダム中央駅に行き、そこからは歩いて海洋博物館へ行く。っここは東インド会社の帆船を復元して海に浮かべて展示していて、中に入って見学する事ができる。オランダと言えば鎖国時代の日本と交易のあった数少ない国で、海とオランダは切っても切れない。またペリー提督の「日本遠征記」ではオランダの事をあまり良く書いていなかったので、おもしろそうだ。時間切れで全てを見る事はできなかったが、イギリスとの海戦を多く紹介していた。以前ウィンザー城を訪れた際に、クリミア戦争について多く紹介していたが、それまではクリミア戦争と言えばナイチンゲールの事しか知らなかったが、イギリスにとって大きな戦争であったことを知った。ある国の歴史やそれに対する国民の考え方はその国に行かないとなかなかわからない。オランダはアジア貿易でアヘンと香辛料の独占交易権を得て、大きな利益を上げていたらしい。そのため?イギリスと衝突し、海戦が多くあったようである。また、海洋航海技術、造船技術なども紹介していた。博物館で歴史の一端に触れると、良い事も悪い事も含めて、その国の国民の知恵、勇気、底力を感じる。
1:19発マーストリヒト行きの電車に乗る。車窓にはずーっと平原と運河の景色が続く。かなり内陸まで入っているはずだが、タンカーが運河を進んでいくのである。
16:00頃にマーストリヒトに到着する。マーストリヒトはきれいで、アムステルダムとはかなり雰囲気の違う街であった。石畳の道路もきれいに整備されていて、ちょっとあか抜けした感じのする街であった。明日のアムステルゴールドレースのスタート会場のマルクト広場に行き、レースのパンフレットをもらう。今日は暖かかったので、屋外の席で夕食を食べた。オランダの料理はおいしくないが、マーストリヒトはドイツ・ベルギーの国境に「囲まれた」地帯で、ここだけはおいしい、と言う事をオランダ人自身が認めているそうである。マーストリヒト・シチューとValkenbergソテーを食べたが、ホントにおいしかった。
1:19発マーストリヒト行きの電車に乗る。車窓にはずーっと平原と運河の景色が続く。かなり内陸まで入っているはずだが、タンカーが運河を進んでいくのである。
16:00頃にマーストリヒトに到着する。マーストリヒトはきれいで、アムステルダムとはかなり雰囲気の違う街であった。石畳の道路もきれいに整備されていて、ちょっとあか抜けした感じのする街であった。明日のアムステルゴールドレースのスタート会場のマルクト広場に行き、レースのパンフレットをもらう。今日は暖かかったので、屋外の席で夕食を食べた。オランダの料理はおいしくないが、マーストリヒトはドイツ・ベルギーの国境に「囲まれた」地帯で、ここだけはおいしい、と言う事をオランダ人自身が認めているそうである。マーストリヒト・シチューとValkenbergソテーを食べたが、ホントにおいしかった。
キューケンホフ公園 ― 2006年04月14日 19:51
今日はアムステルダムの南にあるキューケンホフ公園へ行く事にした。バスは14:30出発の4時間コース。午前中はアムステルダム市内を観光する。バスはスペイン語と英語のガイド付きのバス。運河がずっと続く景色である。公園には日本人が多く訪れていて、あちこちから関西弁も聞こえる。公園にはチューリップがたくさん咲いており、きれいだった。Budoriは特にオレンジ色のチューリップが好きだ。帰りのバスの中で、ベトナムの留学生と席が隣になり、ずっと話をしながら帰ってきた(バスは片道45分)。ミラノの大学で建築のドクターコースにいるとの事。
オランダ・ベルギー旅行1 ― 2006年04月13日 19:46
今日から約1週間の予定で、2回目の海外旅行。オランダ&ベルギー旅行。眠いのを起こされたYuは不機嫌になって手前に開くドアを全力で開けて爪を怪我してしまった。おかげで家からバス乗り場まではタクシーになった。オックスフォードからロンドン行きのバスに乗り、ベーカーストリートで降りたが、手提げ袋を忘れてしまった。Naがtelをして同じバスがオックスフォードへ折り返すのを待つ。ユーロスターの乗車時間までは余裕があったので、忘れた袋も取り戻す事ができた。
budoriは四人がけの席に座ったのだが、Ashfordから3人の婦人が向かいの席に座った。話をしているとアメリカ人でヨーロッパを旅行中という。道理で英語が分かりやすかったわけだ。彼女たちも、「私たちもわからない事がある」と言っていた。
ブラッセルでアムステルダム行きのインターシティに乗り換えた。前回の旅行ではフランドル方面(東)へ行く電車に乗ったのだが、この時にはずっと田園風景が続いたが今度はアムステルダムに向かうので北行きの電車になる。風景は、近代的なビルや工場が立ち並び、こちらは工業が主産業の地域であることが伺える。東西も南北も、ブラッセルを中心として約1時間ちょっとも電車に乗れば国境なのである。ベルギーが小さな国であることを実感する。
検札はベルギーの鉄道乗務員とオランダの鉄道乗務員が二人で回ってきた。その頃になると景色がなんとなく変わってきて、平原と小さな川(運河)が続く風景になる。オランダは初めてである。ベルギーに比べると近代的な建物が多いように感じる。今日の宿はアムステルダム。
オランダでは歩道の脇に自転車専用道路として、歩道よりも広く確保されており、ここは歩行者禁止。知らずにうっかり中でガイドブックを読んでいたbudoriは、自転車に乗ったお姉さんに「歩行者はこちらでございますわよ」という仕草をされた。怒らずにのようにアピールするところは大人である。
budoriは四人がけの席に座ったのだが、Ashfordから3人の婦人が向かいの席に座った。話をしているとアメリカ人でヨーロッパを旅行中という。道理で英語が分かりやすかったわけだ。彼女たちも、「私たちもわからない事がある」と言っていた。
ブラッセルでアムステルダム行きのインターシティに乗り換えた。前回の旅行ではフランドル方面(東)へ行く電車に乗ったのだが、この時にはずっと田園風景が続いたが今度はアムステルダムに向かうので北行きの電車になる。風景は、近代的なビルや工場が立ち並び、こちらは工業が主産業の地域であることが伺える。東西も南北も、ブラッセルを中心として約1時間ちょっとも電車に乗れば国境なのである。ベルギーが小さな国であることを実感する。
検札はベルギーの鉄道乗務員とオランダの鉄道乗務員が二人で回ってきた。その頃になると景色がなんとなく変わってきて、平原と小さな川(運河)が続く風景になる。オランダは初めてである。ベルギーに比べると近代的な建物が多いように感じる。今日の宿はアムステルダム。
オランダでは歩道の脇に自転車専用道路として、歩道よりも広く確保されており、ここは歩行者禁止。知らずにうっかり中でガイドブックを読んでいたbudoriは、自転車に乗ったお姉さんに「歩行者はこちらでございますわよ」という仕草をされた。怒らずにのようにアピールするところは大人である。
夜の通学 ― 2006年04月11日 19:45
大学のメール環境では日本語が自由に使えないので、自分のパソコンをつないで使えるように設定してもらった。ちょっと手直しをして、やっと自由に日本語のメールがやりとりできるようになった。
夜に大学から帰ってくる時はさすがに気味が悪い。なにしろ家と言う家は全て洋館なので、不気味なことこの上ない。中から、全身に甲冑を身にまとった騎士の化け物でも出てきそうだ。
夜に大学から帰ってくる時はさすがに気味が悪い。なにしろ家と言う家は全て洋館なので、不気味なことこの上ない。中から、全身に甲冑を身にまとった騎士の化け物でも出てきそうだ。
最近のコメント